球磨焼酎特有の、ガラとチョクとは?盃とは?

球磨焼酎

このブログの 明治波濤歌 テイスティングレポート その6 の飲み方の提案の見出しで、「ガラ」と「チョク」と書いてしまいました。

「ガラ」と「チョク」の説明が後になってしまいました。

意味が通じなかった方にはご迷惑をおかけしました。

心よりお詫び申し上げます。

あらためまして、 「ガラ」と「チョク」のことを書かせていただきます。

球磨人吉地方特有の酒器

昭和40年から50年ごろは、球磨郡や人吉市では、どこの家にも当たり前に「ガラ」と「チョク」はあったと思います。

子供のころよく見かけていました。それが焼酎を飲む酒器というのも誰もが知っていました。

焼酎ブーム以前は、常圧のクセのある焼酎が主流だったと思います。

どこの家庭でも焼酎は、よく熱燗で飲んでいました。熱燗にすると、香りが強調されます。

子供のころ、焼酎はにおいが強烈で、あまりおいしいものとは思えませんでした。

小さいころから当たり前に見ていた「ガラ」と「チョク」、当然、全国どこでも使っているものと思っていました。

「ガラ」と「チョク」は球磨人吉地方だけで使用されている酒器ということは大人になってから知りました。

そういわれれると、他地域の飲み会で 「ガラ」と「チョク」 はあまり見かけなかったような気がします。

その昔、焼酎が一般庶民の飲み物となった明治時代、球磨焼酎は原酒で流通していました。

アルコール度数は45度くらいあったといわれています。

原酒に和水して35度くらいになった焼酎を「ガラ」に入れて、直燗で飲むのが主流だったそうです。

それを「チョク」に注いでなめるようにチビリチビリと飲んでいたそうです。

ガラとは?

この記事のアイキャッチ画像にある、フラスコの胴に長い注ぎ口を付けたような酒器を「ガラ」といいます。

昔は、焼酎は枡(ます)で量って二合五勺が一盃と呼ばれていました。

「ガラ」には丁度、二合五勺が入るように造られており、お湯を入れてもなお余裕があるくらいの容積があります。

上の口から焼酎を注ぎ、このまま五徳にかけて焼酎を温めるのに使います。

お湯割りも「ガラ」に入れて提供することがあります。

チョクとは?

この記事のアイキャッチ画像の左側にある、小さな杯が「チョク」です。

なめるように飲んでいた風習からか、チョクは非常に小型という説があります。

チョクがちいさかったため、熱燗した強い焼酎のにおいが鼻にツンとこず具合が良かったとされています。

球磨焼酎の風習「盃(さかずき)」とは?

相手に空の自分のチョクを差し出して、ガラで焼酎を注ぐことを「さかずき」をするといいます。

目下の人から目上の人に先に「さかずき」をするのが礼儀です。

さかずきをして、相手が一杯飲み干したら、必ず「重ねて」ともう一杯注いで勧め、その後で返杯を戴くのが作法です。

ただし、お通夜、お葬式、結婚式等二度とあってはならないものの場合は、重ねてはならないとされています。

「さかずきをする」ときは両手を用いるか、右手の指に乗せて差し出します。

目上の人が受けるときは指でつかんで取ってもかまいません。

目下の人が受ける場合は決してつまんで取ってはいけません。

「落としてください」の意味で右手を相手の手の下に出します。

差し出した方は拳を上に向けたまま、中指と薬指の間からチョクをコロッと落として渡します。

目上の人からさかずきを差すときは、つまんで出してもかまいません。

時代の変遷

球磨焼酎は、昔はアルコール度数30度〜33度くらいのものをガラにいれて、 直燗にし、摂氏40度〜45度に燗をして出していました。

飲んでいる最中にぬるくなれば又、火にかけて温めました。

客人の要望で薄めることはあっても、最初から薄いものを出すのは恥とされ、それをやればケチとかバカにされていたそうです。

現在は、アルコール度数25度が主流で、そのお湯割り・水割り・オンザロック等での 飲まれ方が多くなりました。

アルコール度数25度が主流の時代になっても、25度のまま燗をして飲まれてきました。

最近20年位は薄めて飲むのが当たり前になってきました。

まとめ

飲み方が多様化し、「ガラ」と「チョク」の出番は減ってきました。

宴会の際はよくみかけますが、一般の家庭では見なくなってきました。

熱燗にするときは便利ですし、最近は「燗ザ・ロック」という新しい飲み方もあります。

現在でも「ガラ」と「チョク」 の出番は残されているようです。

コメント

  1. […] […]

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